水着論

アイドルが己にとって天使だったとしたら、肉体という「俗」な現実を見せつけられれば当然に幻滅し絶望してしまいます。
アイドルが己にとって娘も同然だとしたら、衆目に身体を晒すことを容易に受け入れられる父親はそう多くはないでしょう。
アイドルが己にとって擬似恋愛の相手だとしたら、自分以外の野郎どもに肌をさらけ出すなんて認められないはずです。
というわけで、なかなか露出度を高めるプロモーションってコアな人間にとっては、少なからず痛みを伴ってしまうんですよね。水着戦略の対象は世間であって、身内じゃないので・・・と割り切ってしまうには、その痛みは大きすぎるのかもしれません。
とはいうものの、アイドルにとって水着は通過儀礼であり、同時に「水着こそがアイドル」っていうのが、日本の王道文化ですし、秋元康もそこは否定していませんから。(以前、アイドルは時期が来れば水着を着る、と公言していました。)そして、眞鍋かをりや優香のように、「脱水着」はその終着点だと思います。水着と縁を切ることが出来た時に、アイドルは「アイドル」を卒業できるんだろう、と。
水着と3サイズ信奉は日本のアイドル文化です。かのハロプロも3サイズ信奉の枠からは脱出できても、水着のセオリーからは抜け出すことが出来ませんでしたからね。いわんやAKB48だって例外なくこの道を歩みます。
折井とか星野とかは、そんな「アイドル道」からの脱出を試みたんじゃないですかね。それが彼女たちにとって正解だったかどうかはわかりませんが、少なくとも希望するルートでは無かったんでしょう。
避けては通れぬ水着の道。衆目の性欲にまみれた目線を洗礼として、この先も日本的アイドル道を進んでいくことでしょう。佐藤由加理つるぺた)がこの先どうしてゆくのか。つるぺたは大変ですが、無事「脱水着」にたどり着けるよう、願っています。